訪問販売のススメ

ブログタイトルとは裏腹に、訪問販売を仕事としている身として、参考程度に訪問販売のテクニックやらを紹介してみる。営業マンや、また訪販を断る人にも多少は参考になると思うので気が向いた時に見てみてほしい。

 

1.とにかく叩くのみ

訪問販売はメンタルビジネス。立て続けに断られることがあれば弱小メンタルの私のような人間はすぐに挫ける。だが、訪問数が稼げなければ契約もクソもない。とにかく叩こう。

また訪問販売の世界では、50件叩けば1人は話を聞いてくれる人がいると言われている。50件で会えなければ、次の50件で2人には会えるのだ。そういう人で契約が結構決まったりするので、宝探し気分で楽しもう。

 

2.インターホン前を粘ろう

インターホン越しと対面ではお客さんの印象がかなり異なる。インターホンで断られても、多少は粘ってとりあえず出てきてもらおう。断りから契約になるケースは多々ある。

 

3.何より元気に

いくらメンタルビジネスとはいえ、冷酷なマシーンの状態で対面しても断られるだけ。明るい人間であるよう振る舞おう。その際は、断られる自分に焦点を当てるのではなく、あくまでこのお客さんの利益向上のための訪問であることを言い聞かせれば、自然に粘れるようになる。また、そうした雰囲気は相手に伝わる、第一印象が全てである。

 

4.売り感を出さない

先程の内容と重なるが、売り感のある営業マンに抵抗を覚える人間は多いと思う(N◯Kとか)。それより、ご案内、宣伝、工事のご挨拶…などで、まずは売りに来ていない印象を与えよう。スタンスとしては『売りたい』ではなく『興味あるなら話聞かない?』という感じ。兎に角座して話を聞かせるまでは温和に済ませよう。

 

5.たくさん家に上り込む

家に入れるか否かでは、お客さんとのパーソナルスペースに大きな差がある。玄関を借りれるだけでその家の契約率は大きく上がるものだ。早い段階で「手持ちいっぱいなので…」的なゴタゴタで玄関をまず借りよう。そして玄関を借りたらとりあえずお客さんを屈ませる必要がある、お客さんの真下の足元に資料を奥などして、自然と屈ませてあげよう。そしてまた、自分はさも当然のように玄関で座ろう。

 

6.褒めてあげよう

玄関はその家の雰囲気や性格がほとんど全て出る。お子さんが多そうならそれを褒める、風水的な位置に物がある場合はそれを話す、ペットがいるなら戯れる、夫婦仲が良さほうならそれを褒める…など。その家庭で大切にされているものに早めに目をつけておけば、商談ステージへの確率が高くなる。大抵は子供を褒められて悪い気を起こす人はいない、無難である。

念の為だが、褒めすぎると流石に気味悪がられるので、さりげなさが大事だ。

 

7.契約者、バランスを見極めよう

契約に全く関わらない人に延々と話をしても無駄である。その家の大きな決め事をするのは夫婦揃ってなのか、旦那だけなのか、奥さんだけなのか、また祖父母なのか、息子なのか…その主権者と、決め事の力のバランスがどの程度かを探りを入れる。不在時であれば、今話しているお客さんをとりあえずいい気分にさせてあげ、両主権いるタイミングでもう一度訪問しよう。その際に片方を堕としているかで全く異なってくる。

 

9.訪販要素を探そう

家選び段階の話だが、その家の訪販要素を知っているだけでメンタル的な安心感と、契約率を向上させることができる。

例えば、白アリ駆除のシール、建て付けのベランダ、外壁のサイディング、太陽光温水器、一部メーカーのエコキュート、外壁塗装、NHKシール、床下、訪販太陽光パネル…などなど。これらがあれば、一度は訪販で物を買っているということなので「いらっしゃい」と言われているようなものである、必ず訪問しよう。

また別に、その家の外観でも多少の人柄判断ができる。綺麗すぎる家、綺麗すぎる車や車内は几帳面さを表すし、子供用自転車の散らかりはガサツな性格であまり人の話を聞かなかったりするが、褒められたらいい気分になりやすい。

こんな感じである。

 

大事なところをいくつか書き出してみたので参考になれば幸いである。訪問販売は売り手の精神状態でおよそ決まってくる、一定のテンションで訪問するのは不可能だが、テンションが落ちてきたらふらっと遊びにでてもいいだろう。沈んだ状態で訪問するより、テンションが高い状態で訪問した方がそりゃいいに決まっている。

あとは如何に相手の利益を描けるか、また自社の製品で何を避けることができるかをきちんと伝えてあげる。契約のためのトークと、相手の優位性のみを描いたトークでは、後者の方が有利である。

 

おわり。

その時の衝動に身を任せていたら、生き急いでいると言われるようになった。生に価値を持てない以上、急いでいようかゆっくりだろうが関係がない。むしろ、死ぬために生きているような感覚だ。

 

ただその時を求めていたら、色んなものを失った。

ひとびとの多くは、遠くを見ているように感じる。見えないものに希望を感じ、ただそれに黄昏ているようだ。おれは目が悪い、近くしか見えない、近くにある興味にしか目が向かない。

今この時を捧げられない人間に未来を語る資格はない、そういう風にばかり考える。

 

そう考えていると、未来も今も過去も消え失せた。あるのは存在自体で、そこに感覚は存在しない。ただ在り、ただ消えてゆく。どこかで決められたような規律に従わされるかのように勝手に動く身体、勝手に思ってもないことを話す口、自分は誰であろう。

 

 

記憶―断片

桜が散るように、人が散った。今では顔も思い出せない、そこに居たのだという記憶の実在。記憶の中で、他の記憶と混ざり、別のものに変わり果てている。愛したのは一体誰かもわからない、実在を愛したのか、記憶を愛したのか、無を愛したのか。消失があるから有限は栄える、だがその有限が栄えるのはそれが消失してからのみという矛盾。人間は固形しか愛せないのだろうか、変化を含めて愛するというのはそれもまた変化まで含めた固形として見ているような気もする。見えるもの、考えられるものの可能性までしか見ようとしない。だから、終焉や、完成とは、一応に全体の見取り図である。そして、そこから感情を決定的に呼び起こすことも出来るのだ。他者が可変的である限り、自己の受容形態も可変的である。だが、他者が固定化されれば、自己受容は一旦完成を迎え、そこから先の形は自己変容を起こさぬ限り不変である。

 

 

 

空を見る。薄暗く、これは白か、グレーか、青か、などと考えめぐらせられる。薄暗いものを見ると、気分も薄暗くなってくる。尤も、綺麗な色を見たところで良い気分にはなったりしない。「良い気分」を忘れつつある。人間的とも呼ばれうるような歓喜と絶望の行き来をしなくなってきている。ただ薄暗い気分のまま過ごし、啓蒙もその薄暗さに落とし込まれ、退屈さに毒され続ける日々。案外これも悪くなくて、怠惰に過ごし続けることは生きているという実感を忘れさせてくれる。生きているという肯定的な実感は負担をかける、生きているだけではない、日々の言葉の氾濫に流される肯定的ニュアンスを心理的に感じさせる言葉もそうである。そこからの逃避の行き着く先は虚無的な薄暗い、あの空のようである。

ただ疲弊

面白いものを見つけては、貪り、飽きる。私はそういう生き方ばかりだ。地獄も天国も知ることなくぬるま湯に浸かり続ける…ある意味それは幸せであるのかもしれないが…私は、それでいいのだろうかと毎日考えるようになった。孤独であると叫びつつ、何かに、誰かに縋ろうとしている自分の愚かな弱さ。不幸にも幸福にも慣れない紛い物であるようだ、きっとこの身を本当に観る者はおらず、誰のことも理解せず、理解されず、愛されることもなく消尽していくのだろう。

 

正解も不正解もない世で、少し眺めたくらいで鼻が高くなる私である、一体何を知った気でいるのだろうか。考えるほどに単調化し、バカになっている。この身が早く滅びればいいと願う毎日で、しかし叶わぬ日々で、であれば己れの力で壊していくしかないのだ。

 

何かに縋りたかったが、他のものにも、勿論自分自身にも縋ることなどできなかったのだ。

 

社会人として

昨日で就職してから1ヶ月であった。毎日ギリギリの生活にもやや慣れ、プチ寝坊もするようになった。ここでの生活は今までの思考を否定し、完全ポジティブ人間を求める環境であった。

 

「今のお前の状態は過去のお前の結果だ。変えたいなら今を変えろ。」

 

「180度変わらなければ足りない、お前に足りないのは人間としての在り方だ」

 

「苦労は買ってでもしろ」

 

 

どれも今までの自分とは逆のことばかりだ。1ヶ月は耐えた。思考も少し変わったのかもしれない。これでおれは幸せだろうか?そこそこの給料も確定した今だが、虚無感に包まれる。

 

孤独。今までこの1ヶ月目を背けてきた現実。人は強くないから何かに支えられる、救われる。人を信じてこれなかった自分が、今少しずつ人を頼り始めている。とても苦しい。

 

ブラック企業か否かは人それぞれの解釈次第だろうが、今の自分より働いてる人はヤバイという基準はできた。そこまでして自分は何を手に入れたいのだろうか。何に固執しているのだろう、今働く理由は食いつなぐ為であるが、いつ消えてもいいという気持ちは今でも残っている。それらを耐え、薄め、自分の身にすることが生きるということなのだろうか。

 

価値の喪失。生きがいの喪失。宙ぶらりん。

 

おれは成長したのか、退化したのか。そしてまたらこの先になって今を振り返ると「いい経験だった」と言うことだろう。それがどう言う意味かも知らずに。

成り上がり

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Twitterで知り合った大学教授の方に本を贈っていただいた。それほど関わらなかった盆暗なおれに「きみが今一番読むべき本を送ってやるよ」と言っていただいた。

 

とりあえず最近の自分、昔の自分を懐かしみながら記事を書きたいと思う。

 

高校時代、部活に明け暮れた。中学から続けていたバドミントンが死ぬほど面白くて、筋トレ体力トレなんて嫌いだったのに、自分から率先してやっていった。強豪ってわけではなく、平凡な学校だったけれど、顧問に恵まれた。おれの頑張りをどっかで認めていてくれたんじゃないかな、と思う。いい結果は出し切れなかったけど、終始バドミントンに明け暮れた。朝練なんて誰も来なかったけど、朝6時半とかに校門前着いて、学校開くの待ってるなんて日常だった。相手がいないからひたすらサーブの練習してた。中学のころからサーブは上手かったんだけど、高校ではさらに練習した。同じ都道府県じゃ、トップ10には入れた気がしたな。笑

朝連に誰もいなかったってのは、半分嘘で、大抵はおれ一人だった。2年の夏大会までは、男子女子の先輩が一人ずついて、練習してた。ちなみに言えば、おれ含めて朝連にいたその3人が、高校に一番遠い3人だった。その先輩らが卒業して、いよいよおれ1人の朝連になった。けど同期の女子部員で、すごい頑張り屋さんがいた。その子を朝連に誘ったり、おれが個人で行ってる練習とかに誘ったりして、一緒になるようになった。最終的にその子と色恋沙汰で問題起こして、最後殺気立ってたな…。今会っても殺されるような気がする。

 

3年夏の最後の大会も終わっていよいよ受験モード。かと思えば、うちの高校は相当バカなので、そんな雰囲気にもならなかった(特にうちのクラスは)。今検索したら、偏差値45らしい。一応公立だから最低とかではない。まあ華のJKだか、真面目にやってる奴はかっこ悪いだか知らないけど、おれは超勉強し始めた。今思えば背伸びの勉強ばっかしてし、バカの高望みでしかなかったな。周りから見ればやっぱ「うわ勉強してる、そっとしておこう」みたいになるのね。そうしたらどうなるかって言えば「孤立」。高校で受験したとき、誰一人仲間だとは思えなかった、「受験は団体戦」とか死ねよと思った。で、年内に受験と結果が出る公募、指定校、AO、短大、専門なんかに進路決めた奴らは多くて、やっぱ悔しかったなあ。そのとき初めて「何で勉強しなかったんだろう」と思った。指定校なんかは1,2年のころの頑張りだし、まあ公募にしろAOにしろ、別に裏口じゃないからそこはちゃんとすげえと思った。

でも、だ。年内に受験終わったのがクラスの9割くらいかな。32人クラスだったから、ちゃんと私立センター試験を受ける予定だったのは4人。そのうち国公立志望がおれ含めて3人だったけど、本命で国公立志望してたのおれだけじゃないかな。まあとにかく、受かった奴らは騒ぐんだよね。そりゃそうだよ、未来が決まってるもんな。おれら残り物は気にせず遊び始める。本当にいつ殺すかわからなかったと思う。

センター受験した2人も、言えば記念受験みたいなもので。滑り止めに心射止められて堕ちた。結局おれも勉強できなくて、大学に落ちた。この頃に人嫌いが始まった気がする。

 

予備校で浪人。このあたりも地獄だったな。みんなすげえ賢いの。カッコつけて賢いふりしてたけど、まあこの1年でも結局駄目だった。続いて2年目、自宅浪人。1年目で基礎体力くらいはできていて、模試も悪くなかったりしたから思い切ってトップ大学に目標をシフト。でも高いのは目標だけで、やっぱ行動できなかった。目標立てて満足するって言う典型になっていたな。これでも結局駄目、いよいよ岐路。

行ける大学に進学するか、働くか。この頃から「自分は頭が悪い」っていう思いに支配されるようになってた。勉強向いてない、って。そして2年目の浪人で中島義道の「哲学の教科書」に出会ってしまった。そしたらもう、マイノリティである自分が誇らしくなっちゃって、ちょっと病気にかかった。まあ結局大学はいつでも行けるだろってことで、保険を残しつつフリーターになった。得た金は哲学思想の本に消えて、本当にどっぷり浸かった。「おれの生きる道はこれしかねえな」と思ったりとか。それは今でも思ってるけど、なんか最近はそういう気持ちは薄れていて、いかにおれの興味にフォーカスされているか、とか単純な興味としての正しさの追求とか、結構自分の思考に沿った思想を選ぶようになってきている。

 

で、実家には散々迷惑かけて、いよいよ大学にも行かねえってなったら東京出るしかないと思った。バカだし、妙にステレオタイプな人間だから、東京なら何でも出来ると思ってた。親のことも嫌いだったし、そのまま身体ひとつで東京に来た。今時こんな奴いるのかな、目的もなく夢もなく東京に来た。東京に来たらなんか見つかるだろうっていう、完全な受身人間だった。それが今年の2月。

京都で働いてたチェーン店で話を通してもらって、住む近くの店舗で働くことになった。ここが少し良くて、完全に0からじゃなかった。まあそこで働いてて気づいたのは「ここの人ら接客舐めてるだろ」ってこと。飲食店だったんだけど、やっぱ飲食店である以上回転率重視。それはわかる。ただ、回転率重視して接客サービス下がるのはクソ雑魚ゴミクズ。おれはそうはならねえって思って、抗った。接客に超時間かけるようになった。そこで飲食店としての働き方におれと同じように不満持ってた人が2人いて、ウマが合った。1人は半年前やめちゃったけど、もう1人とは一緒に頑張った。でもまあ、主権を握ってるのは上で、上の人らが立てた方針通りにおれらはやらなくちゃいけなくて、結構揉めた。1年半も働いてて、おれは意外と頭がキレるから混んだときにどうすればいいかとかわかってる。で、支持出しの人間がトロかったり、バカだったらムカつく。で、散々口出しして呼び出し食らうとかもあった。これは結構最近。笑

 

上の人間は上の人間でやること多いから仕方ないと言われて、仕方なく納得してあげた。でもおれはそいつらをただのバカだと思ってるし、仕事が多少増えて要領図れない奴は指示出す側にいない方が精神的にもずっといいと思うけどね。メンタルが弱い奴に指示出しは出来ない。

そんなこんなで11月まで働いてたんだけど、Twitterで仲良くしてる人に就職の話を相談したらちゃんと応えてくれた。「君の社会的実力の低いうちは苦悩するのは仕方ない。たくさん叱られて、その中でその叱りが果たして自分に責任があるものなのか否かという目を養え」こんなことを言われた。ここですごくモチベーションあがって、それは今も持っている。

 

それで就職するつもりだったんだけど、直ぐ自分が面接通るなんて思わなかったからJAICって就職支援会社を使うことにした。「なんか2週間研修ってのがあって結構厳しいらしい、厳しいとこ受ければなんとかなるだろ」と思い利用。ぶっちゃけキツかった。前回の記事でも書いたとおり、自意識に直面した。自分がバカで、不器用で、下手糞で、コミュニケーション下手で…列挙すればキリがないくらい気づいたし、言われた。で、2週間研修は卒業するものの面接で頓挫。そんな直ぐには落とし込めなかったらしい。なんとか3社の個別面接に進むことが出来たものの、最初に受けた不動産は「笑顔が不自然」ってことで落ちる。2社目の運送会社(の事務職)は無事内定が出たものの、何より遠い。そして3社目への気持ちが強すぎて内定を蹴った。3社目が運命的だったと思う(まだ働いてもないけど)。中小企業ながら、面接に超力を入れてる。新卒採用なら5次面接まで、中途採用なら3次面接までって感じ。そして社長が高卒だった。何よりそれに惹かれた。具体的プロフは挙げられないけど、カリスマ。もうここしかねえ、と思った。

1日目の面接、今回は3人選考者がいた。20問くらいのQ&Aの回答をして、社長から企業紹介を受けつつグループワークをこなる。昼休憩、選考結果でとりあえずほかの2人が落ちておれだけになる。社長いわくここで1/10に絞られるらしい。

社長と1対1での面接。社長室だからソファーに座るんだけど、高いソファーだから沈むのね。そしてら背筋伸ばせないんだよ。でも、面接だから無理に伸ばすでしょ?そしたらもう超不自然な格好。その面接が13時から19時くらいまであったんだけど、17時くらいでさすがに無理になった。社長が気づいて姿勢改善椅子みたいなの持ってきてくれて、パイプ椅子で面接。

最後まで聞いたら最終面接には進めることがわかった。「ただ、姿勢悪いね」といわれて頭真っ白。これ落ちた?と思った。そしたら「ここまで企業に近い考えを持っていて、つまらないことで落ちるの嫌でしょ?次現場同行では頑張りな」と言われて九死に一生を得たと思った。

 

最終面接、つい数日前のことだった。会社に入った瞬間から「笑顔・挨拶・爽やかさ」。これは全部出した。まあ飛び込み営業なんだけど、その現場同行試験。現場の人らとのコミュニケーション、あとは実際に訪問したり、シュミレーションを社長の前でやって問題ないか判断される。車の中で3枚の用紙を渡され、シュミレーションの台詞が渡された。全部覚えろってことだ。社員の人は「全部覚えなくてもいい」って言ってたけど、何が罠かわからないし、おれここ落ちたら無職だし、本気出した。切迫感出して短期的集中すれば短期記憶力が上がることを知ってたから、15分集中して読み込んで、声に出して、社員の方にシュミレーションしてもらいながら覚えようとした。結果、たぶん全体の流れは1時間程度で覚えて、言葉やニュアンス、感情混みまですると2時間くらいでもう覚えてたと思う。

2件目くらいでもう実際に訪問してみて、うまくいかなかった。反省して次は笑顔を、次は声の大きさを、次は関西弁を…って工夫してたら、もう相当仕上がってた。社員の人も、覚えるの早い、飲み込みも早い、業務的なことを教える必要なかったけど教えた、と言ってくれた。

 

ただ、途中事故った。中央分離帯にぶつけて、動かなくなった。結局レッカー呼ぶ羽目に。おれは頭打ったけど無事だった。気持ちが弱かったらもう少し痛めていた気もする。そんなこんなで帰社。社員の人らは「大丈夫だよ」と言ってくれたけど超不安。社長の前でうまくやれるか、どうなんだ、と。最後の調整で言葉をまだ覚え切れてないものを100回書いたりして、同行してくれた社員の方に最後のシュミレーションをやってもらったりした。

いざ本番。社長の前でシュミレーション、本来の1/2程度のところで打ち切られる。「え?」って感じ。本当に落ちたと思った。その後社長室に呼ばれ「やりきった?」と聞かれて「やりきりました」と答える。そしたら動画再生されて「内定おめでとう!」と表示、泣いた、初めて社会に認められた瞬間だった。本当に嬉しかった。

 

こうして無事就職決定。いろんな人におめでとうと言ってもらえた。

途中いろんな人に助けられたし、その人らなしでおれ生きてないと思うくらい。だからおれにしては珍しくすごく感謝してる。そんな中、最初の本を昨日貰って読んだ。ここでも泣いた。矢沢永吉って名前と顔と声しか知らなかったのに。

 

完全に自分と重ね合わせてしまった。東京に夢を持って飛び込もうとしたけど、横浜での生活(おれは東京に行くと言いつつ、ほとんど行動は横浜)。常に周りを置いてきぼりにするほどに気迫と、夢(これなしで今回おれは内定もらえなかったろう)。など。すげえデカイ人だと思ったし、今の自分には夢があって、それはとにかくトップに立とうっていう夢。会社の中を2日間体験して「この人らとは働ける」と思うくらい気持ちの高い人たちばかりだった。けれど、おれはまったく負けてないと思った。むしろ、全員を置いてきぼりにできる成績を上げられるくらいの自信が今ある。

矢沢も言っていた。『コネもなければ親戚もなければ友人もいなくて、一から自分の手で触って。…関東にきて、コネがまったくないってことは、想像以上にエラいことなんだよ。』

本当にそうだ。エラい目にあった。正当な理由なんかなかった、ただ親が嫌で家出してきたに近い。何度か連絡はしたけど、やっぱあそこはおれの帰る場所じゃないと思った。おれが腐ると思った。だから居場所がなかったんだよな、おれは1人とでも密接に関わりたい状態やけど、相手からしたらいい迷惑だ。だってただの「1人」でしかないわけなのだから。そんな状態でヒイヒイ言いながらネット伝いに10ヶ月生きてきた。本当にその日暮だったと思う。家賃払って本買って飯食って、おれが不満なくものを買って、払ったらこんなにかかるのかと思った。おれは金遣いが荒い、下手糞である。

それでものし上がったと思う。ギリギリ。次はトップ成績を築くしかない。

 

 

おれは、多感なほうだと思う。すぐに誰か、何かに影響される。その動きが早すぎて、周りは迷惑してきたと思う。かといってブレーキングするのも嫌だと思った。人付き合いのために生きていない、それは昔からだと思う。高校までの知人とも連絡は絶った。別れた彼女とはどうあれ連絡しない。そういう性格をしている。

だが、妙に感傷的でもある。人に優しくあろうとしてしまう。これがつらい。放っておけるならどれだけマシか、自分のことだけに集中できたらどれだけ良いか。そういう枷を背負っている。でも優しくなることは悪ではないだろうし、それを迷惑と取るならおれとは離れたほうが良いよ、とずっと思ってる。人付き合いなんて、片思いしたら負けじゃんってね。おれは人付きあいで片思いしている、追いつきたい、対等に話したい、レベルアップして驚かせたい、いろいろあるが要するにリスペクトする人に認められたい。そのために必死こいて就職した。本も沢山読もうとしてる(ただ読めていたい)。

そういうものじゃないのか、とおれは思う。だからブレーキは踏まないでいたい、自分勝手でなけりゃおれは死んでしまうと思う。それは確実。だから今必死になって頑張ってる。こういうおれでも、関わってくれる人は、よろしくお願いします。

 

なげえ…。

近況―好転

前回「辞書」というタイトルの内容を書いた。初志貫徹一気に1年間で終わらせるつもりだったが、そうもいかずに100ページをキリに一時中断している。スミマセン、自分への約束守りませんでした。

 

就活をはじめた。最初はどっかには引っかかるだろうくらいで高を括っていたが、現実の自分を突きつけられて本当に絶句した。ネットで仲良くなった人たちが私のことをどう肯定的に解釈してくれようと、一般に関わる人たちは私に対して絶対に反感を持つという現実。

「そんな人と関わらなねえよ~」と楽観していたが、遭遇率99%である。中小企業に入ったなら1人もいない可能性のほうが高い。じゃあそういう人たちに当たり障りのない、もしくは気に入られる自分を作る必要がある。これが当面の目標になった。

文字で書けばあっという間だが、めちゃめちゃ辛かったです。今まで自分がパスしてきた課題を一気に全部突きつけられました。でも借金みたいなものなので、これを返済しなければ人間として生きられねえな、と思います。それを見ぬまま頭で乗り切れる人もいるかもしれないとは思いましたが、私は馬鹿なようで頭のみでは駄目みたいです。

 

もともと文章を書くことは苦手ではありませんが、ビジネス上での文章はこれらとまったく別物だなと知りました。いくら自分が重要だと思ったことについて長々と要約、批評したところで、一般人からは「で?」「長い」という返事をもらうだけ。ここの矯正が辛かった。また、私は思ったことはそのまま伝えてしまいがちで、そういう人間こそ「本物」である、なんて思想を持っていました。でも実際での人間関係でそれをやったら嫌われますよね、ヒラであれば下手したら普通にクビになるレベルかもしれない。自分の極端(だと最近知った)考え方を、うまく基準値に持っていく作業がここ2週間続いてます。

 

日常に、常識に、世界に対するヘイトを吐いたところでおれがただの高卒21歳無職である限り遠吠えも良いところです。だから、おれは今を耐え抜いて平気で生きられるようになり、必死になって上り詰めたい。大学受験を断念したことで大学に大して一方的なコンプレックスを抱えてきましたが、それは受け止めなければならない。自分は頑張れなかったから落ちた、だから今度は社会人として頑張って、自分を肯定できるようになりたい。久しぶりに21歳らしいフレッシュさを持てているんじゃないか、と思います。それでも老けて思われるだろうけど…笑

 

がんばります。