干からび気味

日々の仕事に忙殺されていたら、いつの間にか干からびていました。 最近仕事がなかなかうまくいかなくなり、方法を変えていかないと干されてしまうようなギリギリまでに迫ったりしていて、どうしたものかなと考えることが増えた。また、ここ半年くらい、自分…

その時の衝動に身を任せていたら、生き急いでいると言われるようになった。生に価値を持てない以上、急いでいようかゆっくりだろうが関係がない。むしろ、死ぬために生きているような感覚だ。 ただその時を求めていたら、色んなものを失った。 ひとびとの多…

記憶―断片

桜が散るように、人が散った。今では顔も思い出せない、そこに居たのだという記憶の実在。記憶の中で、他の記憶と混ざり、別のものに変わり果てている。愛したのは一体誰かもわからない、実在を愛したのか、記憶を愛したのか、無を愛したのか。消失があるか…

ただ疲弊

面白いものを見つけては、貪り、飽きる。私はそういう生き方ばかりだ。地獄も天国も知ることなくぬるま湯に浸かり続ける…ある意味それは幸せであるのかもしれないが…私は、それでいいのだろうかと毎日考えるようになった。孤独であると叫びつつ、何かに、誰…

社会人として

昨日で就職してから1ヶ月であった。毎日ギリギリの生活にもやや慣れ、プチ寝坊もするようになった。ここでの生活は今までの思考を否定し、完全ポジティブ人間を求める環境であった。 「今のお前の状態は過去のお前の結果だ。変えたいなら今を変えろ。」 「18…

成り上がり

Twitterで知り合った大学教授の方に本を贈っていただいた。それほど関わらなかった盆暗なおれに「きみが今一番読むべき本を送ってやるよ」と言っていただいた。 とりあえず最近の自分、昔の自分を懐かしみながら記事を書きたいと思う。 高校時代、部活に明け…

近況―好転

前回「辞書」というタイトルの内容を書いた。初志貫徹一気に1年間で終わらせるつもりだったが、そうもいかずに100ページをキリに一時中断している。スミマセン、自分への約束守りませんでした。 就活をはじめた。最初はどっかには引っかかるだろうくらいで高…

辞書

3日前から辞書の書写を始めた。 熟語本位 英和中辞典 新増補版 作者: 斎藤秀三郎,豊田実 出版社/メーカー: 岩波書店 発売日: 1993/09/07 メディア: 単行本 クリック: 18回 この商品を含むブログ (11件) を見る この著者に関する逸話は、多分ググればいくらで…

自己問答夜

「苦しさは何処からやってくるだろう」 ―兎にも角にも「すれ違い」から来る。理想と現実のすれ違い、自分と相手のすれ違いのどちらかに大別することができるだろう。苦しさの解消には「時間」か「変革」が必要になる。今の私は「変革」を行おうとしている。…

多数決

社会の多くは「多数決」を根底に持っていると思う。政治材料、政治史などを例に出さなくともそれはおよそ感じられる人が多いのではないだろうか。「多数決」とは「普遍・普通」「常識」にほぼ等しい意味を、私はここで使う。さらにこの「普遍性」は道徳感情…

愛書狂

9月も後半である。過去記事の日付を見るたびに1ヶ月以上経過していて妙な感じだ。以前より本を読めるようになったし、買う本も減った。ただずっと仕事漬けになっていて、睡眠障害のような症状が出たり、入院したり、仕事で神経をすり減らしたりしていた。あ…

欲望・絶望

浮気は是か非か。何が浮気であるか。束縛の外側は浮気であるか。可逆性を保てているか、そうでなければ貴方を優位にするものは何か。 好ましく思っている人が、自分と違う人間と関わっていることに何処からか湧く憤りを覚える人は多いだろう。それは「嫉妬」…

寝こぼけ

前回の更新が78日前とはまるっと二ヶ月ブログを見てみぬ振りしていたらしい。なにはともあれ、とりあえず生きています。ただ自分の考えていた「蟄居」とはずいぶん遠いところにいるけれど、まあいずれ。 相変わらずの働きづめ、魂の労働。少しの間にヘーゲル…

「無理をする」とは何か

18歳そこらの人間は、人生について大きな疑問を抱くことが多いだろう。人生の意味とは何か、将来の自分はどうなっているか。至極当たり前の疑問であり、それこそが「青春病」「激動の青春時代」などと言われる原因であろう。わざわざ期間に名称を付け、そう…

積読

2ヶ月弱ものあいだ更新をしなかった。脳内のOSが今までは更新されていたのだけれど、ここ2ヶ月程度OS ver.0.0998で止まっていた。更新に必要なキャリアが今の自分では不足だったらしい。無論、いろいろと負債(比喩)が溜まっている状態で読書などできるはず…

不穏の書、断章 フェルナンド・ペソア

「私はなぜ あらゆる人 あらゆる場ではないのか?」 ふと手に取る本に運命を感じることが多々ある。その運命に導いたのは自分の直感でしかないのだが、こういう直感というものはなかなか侮れない。 知る人ぞ知る詩人、フェルナンド・ペソア。リスボンの生ま…

自我

突発的な思いつき、だが経験的に有効であった人間関係からの一時的離脱を試みた。LINE、Twitterに多くの関係を依存していたがため、そこの関係を一時的とはいえ拒否するというのは孤独への渇望と相違ない。本来の友人、知人というあり方は「一度適当な関係に…

「新しいヘーゲル」 読み終わった

新しいヘーゲル 長谷川宏 を読み終わった。 www.amazon.co.jp 著者の長谷川宏は、本屋でぐるぐると巡回しているとよく目にしていた人だったが、何気に著書を読むのは初めて。今日レーヴィットの「ヘーゲルからニーチェへ 上」と共に買ってきて、帰って読んだ…

題名を考えるは難しい

jougetu.hatenablog.com 先日、私の同志(恐れ多いが)である乗月氏のブログを読んだ。読書法というより、読書術という方が正しい内容であろう。氏はさまざまな読書体験から「快適な読書時間は3時間」という公式を導いた。読書人たちにとってこれは「生理的…

友人論

以前にも私は「友人」とは何かというものを書いた。そこから更にこの話題がわたしの中で膨張拡大し、同時にその構造をも助けを借りることで発見するに至った。なので以前散り散りになっていて、それぞれが別のものにしか見えなかったものが、然るべき統一性…

自意識と劣等感の狭間

ところで、ひとつ現実に返って、ぼくからひとつ無用な質問を提出することにしたい。安っぽい幸福と高められた苦悩と、どちらがいいか?というわけだ。さあ、どちらがいい? これはドストエフスキーの「地下室の手記」の一節。久しぶりの更新でこんな始まり方…

節目

今週のお題「20歳」 という題目でブログを書いてみることにする。 私は今ちょうど20歳なので、このネタは他の人よりも鮮度が高いことが予測される。で、20歳といえば成人式が最も大きな行事なのだろう。しかし、成人式に参加しなかった私にとっては単なるニ…

夜行性

いつからか夜行性になってしまった。22時ごろに寝ても1時~3時までに起きて、眠れなくなる。その間の読書はすこぶる捗るのだけれど、そろそろ日中にも目を開けていたいから無理にでも起きていたほうがよさそう。 今もこうしてカップ麺を食い終わり、エナジー…

死・絶望

死とはなんだろうか。いや、死というよりも人間の内面から発生する死への渇望はいったいどういうものだろうか。考えるに、死にたい人間というのは逃避の最終手段として「自殺」という手段を用いる。死を選ぶ権利は平等に在る。(しかし死を与える権利は無い…

猫のあしあと

猫のあしあと(講談社 町田康)という本を読んだ。著者のユーモアと、それに関わる猫たちの話に癒され、涙した。不思議なもので、どれだけつらい現状で、自己責任というものに塗れていても、動物というのはなんだかいつでもこの悲しみを癒してくれるような気…

じぶん

現在のはてなブログのトピックの一つに「現在の職を選んだ理由」がある。固定職に就いていそうな記事は読む気にならなかったので、中卒や高卒、または職を転々としている記事を読んでいた。 自分のこれまでを加味し、これからを考えてみる。すると 対人は多…

望むコトバ

何か書きたい書きたいと思いながら過ごしていると、前回の更新から歳が明け、1月も半ばになってしまった。書いては消し、書いては消しを繰り返し、結局何を書きたかったのかわからぬまま。やはりTwitterのように字数制限があると便利だ、思いつきというのは…

コトバって何やねん

コトバという術語が私に根付いてきた。この術語はもともと井筒俊彦の「意識と本質」にて使われ始めたものである。最初はただ使っていただけだったのだが、先著の理解もほどほどに進んでくると彼がどのような意図を持って「言葉」と「コトバ」を使い分けたか…

本質論

某氏から 1.人の本性は変化するか否か 2.本性は善か悪か 3.本性は存在するか という3つの問題提起に関してブログを書けと提言いただいたので、ここで喜んで書かせていただくことにする。勢いそのままに書くので頭の中で考えうるまま抽出することになるので読…

上から下へ

私は足を空へ運んだ。身を空に委ねた。耳障りな怒声が聞こえる。おれに対するものだ、無視した。泣き声が聞こえた。おれが泣かせたのだ、深く哀しんだ。笑い声が聞こえた。おれの外で起こったものだ、入れなかった。おれは、この長いか短いかの人生の中で幾…