理想の生活と現在

理想の生活というものがあったりする。理由は答えられないが、なんとなくこういう生活に憧れるなとイメージを湧かせている。知的生活などというカッコイイ言葉で形容されるようだ。

 

簡単に言ってしまえば、本と猫か犬に囲まれる生活がしたい。自分だけの部屋を持ち、書斎を持ち、猫や犬に癒されたい。そして願わくば家を作業場としたい。

 

自分が働くことを想像しないまま現在(20歳)になってしまったので、どうすれば家を作業場にできるだろうと少し調べたりしている。小説家や文章作家、あるいはPCを使ったプログラミング系の仕事などだろうか。現代の情報などに踊らされている身であるから正確なことはなにもわからない、働かなければならないらしい。就労の義務というやつ。

 

いや、働くことに抵抗があるわけではない。どうも固定観念として、仕事とは家を出て作業場で行うものだというイメージが先行してしまう。であると自分の時間がなかなか取れないのではないか、私は自分の時間をかなり必要とする。周囲に人間がいると落ち着いて取り組めない性格のようだ。

 

理想的な生というものを送るには、自分のやりたいことをすればよいという考えでいる。安直だろうが、考え込んでもこの結論に至る。どうしても私には、現代の社会を見ているとみんな疲弊しているように見えるのだ。楽しくないのだろうか、見ているだけでも気分がよいものではない。効率重視であるがゆえ、常に100%で作業を行うことが求められている。週の中で休みはあっても、1日の中で休めるのは家に帰ったときだけなのだろう。理想的な会社とは、やはり根を詰めすぎない会社だ。完全を求められ続けては、それは人間の行う作業ではない。ロボットにでもやらせておけばよい。

 

こうは言っても私は社会を知らない人間だ、偉そうには言えない。であるが社会に出る可能性のあるひとりとして言いたいのは、こんな社会に出たくないという先入観である。

 

 

 

随分話がズレてしまった。

 

現在の生活は怠惰ではないだろうが極端だ。睡眠時間が3時間程度で起きるようになってしまった。理由はなんだろう、快眠環境を整えていないから?精神的な理由?ともあれ原因もわからないから3時間睡眠のまま生活している。

 

具体的に書くと、21時から24時までか24時から3時までが睡眠時間。今回は前者の想定で書いている。0時(24時)からはとりあえずぼーっとしていろいろ考えを巡らせている、ときたまにそれをノートに取ったりすることで今後考えられるようにしておく。それがひと段落し疲れたら、なにか本を読む。むずかしい本は頭がなかなかまだ働かないので、ビジネス本のように簡単に読めるものを適当に読んでいる。小手先のテクニックなどが書かれているが、それを生活にどう取り入れたらいいかを考えたりするのが地味に楽しい。文字に慣れる程度に使っているから、あれこれ模索したりはしない。

 

こんなことをしているといつの間にか3時くらいになっている。それくらいになったら、語学を始める。現在は古典ギリシア語だが、3か月以内にフランス語とドイツ語も始める予定でいる。語彙の書き写し、暗記がメイン。その後に文法を少しずつ進めている。「外国語上達法」(千野栄一)に書かれている方法を若干変えて行っている。

 

語彙の暗記作業を100語程度終えたら、辞書を読むことが多い。国語辞典と英和辞典を「あ」「A」から順に読み進めている。全部読んでいると死ぬほど時間かかるので、見開き1ページに適当な1語を拾ってそれだけ熟読する。これもまたひと段落したらその後はあまり決まっていない。現在は書評と日本語を書く訓練がメインで行っていることであるので、書評を書く本を読んだり、文豪の著作の一部を書き写したりする作業に十分な時間を使っている。

 

こういう生活は悪くない、むしろ意志的に行っている。誰にも介入されるわけでもなく、自分のやりたいことができている。たまにふと、社会にとても出られないなあと思ったり。出て不適合者などという烙印を押されるより、ずっとひとりでいるほうがよい。生き延びたいという意思もないので、生きていけなくなったらそこで生きることをやめてしまえばいい。