特別

今日もそとに出かけてしまった。なるべく節約せねばならない身でありながら、多動性は未だに治らないようだ。

地元にある本屋に行った。いつも通り、タイトル買いをしてしまった。

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哲おじさんと学くん。こいつを侮っていた、中身を読めばそこらの半端な哲学入門書よりはるかに中身がある。さらに、私の興味とそのまま合致しており、一気に読み進めてしまった。

日本人哲学者の書いた本で、さらに私が手に取る本、今のところ全て私がもう1人いる感覚となる。

この本の冒頭を例にとる。
学「僕は決してみんなの言っていることが分からないわけじゃないんだ。大人の言っていることだってちゃんと理解できる。それなのに、僕の言っていることはみんなに理解してもらえないんだ。…。」

全くその通り。私はいままでこれを言いたくて仕方なかった。言ったことはあるのだ、相手にされなかった。だから、私は昔から社交辞令でしか会話ができなかった。

だれが同じ興味を持っているのか、孤独を肯定しつつも、考える供は欲しい。これはワガママか。

みんな悩みがある、みんな異なる、あなたのことなどだれも見ていない。そんなことはわかっている!但し、あなたがたの悩み、考えを私の悩み、考えと同等にしないで欲しい!

これが私の本心である。私はあなた方が、政治、人間関係、人生について悩むことを知ることができる、その気持ちも私は得たことがある。だがしかし、私の悩みを誰かが同じように納得しながら聞けたか?自殺の否定、愛への虚無感、そもそも自分の生というものへの否定。その話をして、あなたがたはどうしただろう。一蹴しただけではないか、それもありきたりな言葉たちで。

このようなことを、今日考えていた。ひどい嘔吐感に襲われた。だんだん多くなってきたこの嘔吐感、理由はわからない。周囲からの精神的孤立だろうか、それともサルトルのような言語文節から脱却した存在を見てしまったのか。はたまた、これこそが存在への耐えがたい軽さだろうか。

周りの人間たち、私には非常に困難なことを平然と議論する。もっと、話すべきことは目前にあるのに。

そのうち、私は特別だと考えるようになった。優位性を誇示しているわけではない、異質といったほうがみんなにマイナス的に映ってよいだろうか。兎も角、自分が異質なのだと。おそらく存在に対しての嘔吐感、理解されることのない私自身、すべて身の上話だ。これほど苦しいものなのか、みんなみんなが宇宙人だ。