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真似

3日前に風邪をひいた。正確にはもうちょっと前から喉が痛かったし、咳が止まらなかったのでそのときからだと思う。9時間勤務の日のバイトだったのだが帰る様命じられたので、うちのバイト先には感謝。飲食店なので風邪持ちの私が厨房に入るわけにもいかないのだが。

 

そんなこんなでここ数日はほとんど布団の上で過ごしていた、人恋しさはあれど、これはもう持ちたくないので口にもしないように気をつけよう。

 

 

私は本を買うスピードと読むスピードが違いすぎて積読が増えまくっているのだけれど、本は読みきるのが目的ではないというか、通読もひとつ目的ではあるようだが、本を買うという行為には「その本のをいつでも取り出せる」というメリットがある。図書館に行くことと、本を買うことの違いはこの部分と、更に私の場合は本に書き込みをするのでやはり購入の必要が出てくる。とは言っても、経済的にそろそろヤバイし、一人暮らしするとなれば購入も控えていかなければならないので自分の中で買う本と買わない本の見切りをつけていかねばならない。

そういえば、南方熊楠は12歳のときに、学校の帰り道の古本屋に寄って太平記を立ち読みして家でそれを書き写すという作業をしているうちに、半年で全50巻を筆写してしまったという。恐ろしい記憶力である、あの柳田國男が「人間の極限の可能性」とまで言う人物であるのは、凡人の私に多少の勇気をくれた。

 

こういった天才の話が実に好きで、英文学者の斎藤秀三郎や、井筒俊彦は「天才」というカテゴリから見つけることが出来た。だから斎藤の「中辞典」の全筆写は今続けているし、井筒は私の今後の研究対象として大きく影響を与え続けている。

 

そんなこともあり、この南方の逸話を聞きつつ私はどこが真似できるのだろうと思ったのだが「文章なりパラグラフなりを覚えて書き写す」という作業を思いついた。問題はこれをどの本を対象として行うか、なのだけれどたとえば現在読み進めている「意識と本質」なんかでやってしまうと最早拷問である。コトバの意味や使われ方、なにより出てくる用語が多すぎるせいで一行の暗記すらままならないのではないかと思う。読むのにすらナメクジのような速さであるのに、これを覚えるとなればやっている間に地球が滅びるかもしれない。

でも1冊ではなく、1章という単位で見れば、頑張ればどの本でも書き写せそうなのでやって見ようと思う。