不安
おれはたまらなく不安だ
おれは今どこに居て、何をしていて
いやまったくもっておれが誰かすらもわかっていない
常々に目に見えぬ不安の塊に背をさすられ
おれの背筋はそこから凍りはじめる
それを溶かしたいからぬくもりを欲し
そのぬくもりを知らぬまま盲目のまま探しもとめ
ああこれがおれの居場所なのだと安堵もつかの間
背はふたたび凍り始める
そのぬくもりは虚だったのだ
おれの居場所はどこにある
またおれは虚のぬくもりを求めてさ迷う
はやくしないと全て凍ってしまう
このごろ更新してなかったですね。とくに理由はなく、たぶん私が怠惰なだけだとは思います。先月くらいまでは毎月がせわしなく何かが起こっていて心身ともに忙しかったんですが、身を落ち着けられるようになってきてからは特に何も起こらず平穏です。
生活は 読書、睡眠、バイト、食事のルーティーンなのは相変わらず。たくさん本を読みたいのに身体が言う事聞かないです、なんとかならんかね。
私の好きな作家に言及していたところ、そのひとりに吉本隆明って人がいるんですね。その人について私のからなにか見解を示して見て欲しいって言われたのでちょっと書いて見ます。
経歴は正直どうだっていいので、また調べられるから省略。どんな人か?って言われたら…そうだな「9割否定して1割肯定するような人」です。思想家だったり詩人だったり文章作家だったりマルクス主義についてあーだこーだ言ってたり社会運動にあれこれ言ったりと、結構いろんなことやっているひとなので一まとめにはできないですね。
文章作家には2種類いて
- いろんな人の本や思想を取り入れてわかりやすくしたりそこから新たな見解を示す人
- いろいろな思想に対して否定的に入ってYesを薄く、Noを濃く刻む人
がいると思うんです。後者は批評家なんかがそうです、小林秀雄とか江藤淳ですね。前者は多いので名前は出さないですけど、基本ベースが「同調」な人が多いので「解説者」に近いんです、観察者の立場でなく限りなく本人に近しい位置から語ろうと…また当人ならこの問題をこう語るだろうというような人。
で、吉本隆明って人は「世間」に流れている風のようなものに敏感でそれを切り刻んでいったような人です、つまり後者。私みたいな人がこんなエライ人になんだと言えないんですが、この人は世間的な普通をとりあえずNoから考えるような気がします、私がそうなので似たものはわかるってやつでしょうか。
食べ物に困ったら盗んででも食べていいんだぜ?人助けなんてできないって親鸞は言っているしおれもそう思う。円満な家族なんてないんだぜ。
こんなことを言うひとです。
吉本は人の思想を読み取るのがうまいです、マルクス、折口、小林、フーコー…書物からのみの読み取りもあれば、実際に対談した人たちも居る。で、吉本はその人の思想に埋没しないんですね(埋没に悪意はない)、批評家ってのはせいぜい数人くらいしか批評の対象として大きく取り上げられないもんですが、この人はあっちこっちの人の思想にあれこれ言います。確固とした吉本隆明というものを持った上で、その観点からさまざまに切り込んでいきます。
私個人的にこの人の言ったことで好きなのは「言葉の根と幹は沈黙である」ですね。言葉ってのは私たちの表層に出てきた時点でもう私のものじゃないんです、発してしまったらそれは私の思考ではなくまた別の独立した思考をもちうるものなんです。だから吉村は『沈黙こそが当人たらしめる本質だ』と考えていたんだと思います。私はまったくもってそれに同意ですし、それは既に私に考えられていたものでした。ああそうか、この人の気質って私と似ているんだ、って思いましたね。