積読

2ヶ月弱ものあいだ更新をしなかった。脳内のOSが今までは更新されていたのだけれど、ここ2ヶ月程度OS ver.0.0998で止まっていた。更新に必要なキャリアが今の自分では不足だったらしい。無論、いろいろと負債(比喩)が溜まっている状態で読書などできるはずがなく、しかし本は増えていく。

 

たとえば最近増えた本で目の脇に積んであるのでは

岩波文庫 中国文学における孤独感、大乗起信論、明暗、行人、物質と記憶、エチカ、哲学の改造、ヘーゲルからニーチェへ。単行本だとポイエーシス叢書のデリダ著書3冊と、ほか3冊。言葉と物、ヘーゲル精神現象学(金子訳)、ヘーゲル読解入門、史上最強の哲学入門、羊皮紙に眠る文字たち、海の見えるポルトガル語の世界、THE HISTORY OF WESTERN PHILOSOPHY とか、そんなあたりである。肝心の冊数で言えば、恐らく80冊とかそのくらいだろう(数字にするとたったの2bitで済んでしまう!)

 

で、自分がいったい何に辛苦していたかがさっぱりわからない。失恋したとか、大学に落ちたとか、生きることの大変さを改めて自覚したとか、拠り所を見失ったとか、漠然と疲れてしまったとか、たぶんそんなところであろう。本格的な本業に従事するのは来年にすることにして、今年は惰性で生きることにしよう、と今ふと思った。今のところ魂の削り粕を金に換えているようなもので、もう少しやりかたがあってもいいなと思う。どうやら世間の多くは、親の脛を齧りながら就職まで食いつなぎ、それから「親孝行」の名目のもと徐々に返済に励む。大学を卒業していればほとんど奨学金の返済もあるだろうが。何が悲しくて努力を尽くして入った大学の、卒業と同時に多額の借金を負わなければならないのだろうか、大学に行く気力をなくしたのはそういう理由(あと単純に頭がよくなかったり、『頑張る』ことができないという)が大きかったりする。

 

ところで、まるであたかもこの記事を書いてる現時点においてアップデートされたわけではない。オールドタイプのままできることをやっているという。ここ2ヶ月は何ひとつ、知識として増えなかった実感(?)はある。そんなことも言ってられないので1ヶ月で英語、ギリシア語、ラテン語、ロシア語、サンスクリット語アラビア語、フランス語、ドイツ語のそれぞれをひと単語ずつくらい覚えてもよかったと思う。そういえば6月くらいに白水社からギリシア語テキストが出るらしい。

 

勿論自主的になのだけれど、仕事がヤバイ。遊びのない仕事は退屈だ、私は単純作業に向いていない。それに5時間くらい働いたらポンコツになってしまう。社会が求めていそうな「便利な人間」からは程遠い。ともなればメッチャ面白くて、割に合うかそれいじょうの給料を貰える仕事を探すほかない。さて何をしようか、とりあえず元手を作るために今いろんなものを犠牲にしつつ、生活を保ちつつやっているという現状。それを端的にではあるが伝えた仕事先のひとりが「いろいろ出来るんだから就職したらいいのに」と言っていたらしい。就職かあ…上記の条件を満たすところであればいいなと思えるが、そうでない限りは今の生活のほうがたぶんマシだろう。と、そんなことをしばらくウンウンと考えていたのだった(諦め切れないともいう)

 

さて、次は何か本を読んだ後にでも更新してみる。もっとも、本を読む時間とそれを整理する時間と書く元気が残っていれば、の話である。