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辞書

3日前から辞書の書写を始めた。

 

 

熟語本位 英和中辞典 新増補版

熟語本位 英和中辞典 新増補版

 

 

この著者に関する逸話は、多分ググればいくらでも拾えると思うので暇なときに見てみると面白い。

斎藤秀三郎 - Google 検索

 

それはまあいいとして、辞書を書写なんてあまりしている人いないんじゃないかな。突然はじめた訳としては、とにかく毎日継続する何かが欲しかったということ。それも、軽度の軽いものだったら一気に全部やってしまったり、サボったりするので、あえて負荷のかかる、手元にある一番利益率の高そうなものを選んだらこうなった。云ってみれば一度全頁全段に目を通すのが目的で、わからない部分を軽く炙り出す、そしてわかるところは理解を深めるのが目的。

 

書写といえば南方熊楠が浮かぶ。「興味のあることだけやる」という好奇心の権化のような人で、百科事典を読み、暗記し、家に帰って復元していたらしい。これは今で言う「映像記憶力」が強靭なタイプの人なのかな、と思う。あと、森鴎外なんかはドイツ語の辞書をいつのまにか全部書写してしまったらしく、これは毎日主義のひとつの目標点と言えるかもしれない。私の場合、森鴎外のエピソードによる動機が大きい。

 

今、辞書の書写を始めて3日目になる。1日5ページを書写するだけの作業だけれど、結構キツイ。1ページに約1時間かかり、5ページなら5時間かかる。結構な負担だけれど、いい眠気覚ましと頭の体操になっていて、朝目が覚めて顔を洗うより先に書写を始めていると、3ページ終わる頃には頭が冴えている状態(今は)。

 

ただ、今日は書写を終えると何もすることがなくて退屈してしまった。それなら書写を進めればいい、と云う話だけれど早く終わらせるのが目的ではなく、ほぼ1年間毎日続けるのが目的なので負荷を上げる必要はない、というかこれ以上上げると挫折しかねない。

 

私は読書が苦手で、どうもあれは睡眠導入剤的なものから抜け出せないらしい。それならこれも強制的に「目を覚まして読ませる」ために書写してもいいな、と思えた。もしくは教科書的テキストブックを全文書写すれば、今より多少知的レベルが向上してくれるんじゃないだろうか。手の痛みは続くが、意外と気持ちがいいかもしれない。