リミット

今回、仮に寿命まで生きるとして、残りの人生のどれほどを知的生活に費やせるか

又は、人間至上主義者が目を逸らす共存と死について

のどちらを書こうか少し考えていた。後者は、私が何度もそれっぽいことを揶揄しているような気がするし、どこかで書いた覚えもあるからもういいかなと思ったり。だが、後者は私を私たらしめるほぼ唯一のことがらであるような気がするから、気が薄れないように、自分に対して何度も示す必要があるので今度また書こうと思った次第。

 

 

もしも寿命まで生き残ってしまうとすれば、私の残りの人生は多分あと60年ほどある。まだ人生の1/4くらいしか生きてないらしい。だが、その年代によってやれることは変わってくるのは「若いうちにいろいろやっておけ」の謳い文句にある通りである。年代によってやれることが変わるというより、やれることが減るというほうがいいか。

大昔に孔子は「私は15歳で学問を志し、30歳で一本立ちし40歳で迷いがなくなり云々」と言っていたらしい。また、観阿弥の遺訓の風姿花伝によれば「17,8歳でかつての少年美は消え、芸も空回りばかりなのでこの頃は無理をしないことが大切。24,5歳でそのひとの芸が決定する。34,5歳で芸はピークに達する。このときによい評判がなければ世間が悪いのではなく、自分が極めていないのだと反省し極めなくてはならない。」などと言っている。なんとも耳の痛い話だ、私がこのふたつを眺めて思うのは、現在さまざまに思春期とか憂鬱とかエゴイズムだとか、ムズカシイ言葉が増えていても、それらを既に説いていたり、またその解決策などは大昔から提示されていたのだなと。

私たちが自分しか持たないと思っている悩みは現世の他人も同様であるが、既に大昔の人々も持っていたのだと。私たちが視覚的に、聴覚的に受け入れられるのが主に今このときであるゆえ、自分しかいないように思えるのではないだろうか。ほんの少し昔のエライ人たちを眺めれば、同じように恋愛や人生やエゴや思春期で悩んでいることがわかるし、微妙な差異などはあってもそこから自分がどうすべきなのかは自ずからわかってくるような気がする。(こうは言っても、書店で「人生とは〇〇である」「人生を豊かにする50の言葉」などという啓発本を見ていると辟易するし、そういうのは自分で読もうよなどと思ったり)

 

知的生活というのはたいてい、読書を基本とする。今も昔も、読書家はやはりスゴイのだ。しかし、読書家たちはおよそ40~45あたりで老眼になるらしい。それは同時に、本を読む、文字を書く体力の衰えでもあるように思える。だから、40を過ぎ老眼になってから「ランダムハウス英和大辞典」を全部書き写したり、各国の近代文学作品をほぼ須く読破しようとするのは結構無理がある。こういう肉体労働に近いことは、若いうちにするのが吉であろう。もし孔子観阿弥が言ったように30-35あたりを成熟の臨界点とするならば、それまでに「これはめっちゃ大変やぞ」と思えることをやっておくべきだろう。森鴎外はドイツ語辞書を若いころにすべて筆写したらしいので、私もそれに見習って1ヶ国語くらいは全筆写してやろうと思っていたりする。

 

つまり、私に残された『無理できる時間』はあと10年そこそこしかないのだ。これは恐ろしいことである。それまでに、無理をしてでも必要な知識を蓄え、それからはその蓄えたものを主に使って考えてゆく必要がある。

 

そんな中、私がやらねばと思っているのはやはり外国語学習である。ひとがなんと言おうと、私にとって外国語はツールである、持っていれば便利という単純なものではなくとも、持っているだけで選択の幅が広がる。どれだけ専門に特化しようと、海外文献、海外論文を読めなければ最新学説は知りえないし(論文発表から学説に反映されるまでおよそ10年かつ邦訳となるとさらに10年のスパンがあるらしい)論文発表を日本語でしか行えないのはあまりに狭い、というか見てもらえない。

 

いまの私は志ほどの身の丈ではないので、夢見がち、身の程知らず、わきまえない、思春期などといくらでも言い様があるが、結果的に自分が学ぶ動機が生まれれば良いと思っているのでこれからどんどん大きな目標を公言してもかまわないと思っている。とりあえず、今は残りの『無理できる時間』をどう使うかを考えなければな。

思考限界の規定について

机の上がすぐに散らかる。必要な気がするものを机上においていくとどんどんと積まれていくのだ。2週間に1度くらい、片付けのようなことをしている。

整理整頓というのは、片付ける場所があって成り立つものである。私は、スペースもないのにものを増やすから整理もなにもない。要らないものは捨てていかないと。

 

 

ふと、自分の思考の限界点はどこにあるかと思った。思考とはつまり、考えられる範囲であり、その中でしか私は考えざるを得ない。突然私に数学的センスや、芸術的センスが"一時的に"芽生えれば、普段の私からすれば限界以上の思考をできることになる。だがこの例えは無意味で、そのようなことにはならない。芽生えることは一時的だけでなく、それから永続的に頭の中に蓄えられるものだから、思考限界の拡張を意味する。

 

「思考し得ないものは沈黙しなければならない」というヴィトゲンシュタインのコトバがある。詳しくは述べないが、要するに文字通りの意味である。このコトバの書かれている「論理哲学論考」を私は読んでいないので、ここから話をうまく広げることはできない。

 

しかし、少し齧る程度の知識はあるのでそこから話をしてみよう。

 

今回の題名は「思考限界の規定について」である。思考限界というのは、われわれの意識しうる思考内のみから規定することはできない。都道府県や国境で考えるとわかりやすい。たとえば京都府滋賀県は隣接しているので、仮に京都府を思考限界内、滋賀県を思考限界外としよう(形などは気にせず、このふたつの領域があるとする)

この県境は京都府だけから決定しうるかどうか、勿論できない。県境(思考の限界点)は滋賀県からの考察がなければ規定し得ない。ということで、滋賀県側からの考察が必要になったのだが、滋賀県=思考限界外ということを考えると

 

考えられないものを考える

 

必要がある。当然矛盾するので、思考限界というものを規定することはできない。ここまでが(多分)ヴィトゲンシュタインの主張。

 

これだけ書いたらただの受け売りだし頭が悪いのであえてこれへのアンチテーゼとして思考限界を規定しうる立場で考えて見る。

 

けど今は思いつかないのでとりあえず題目だけ置いときます…。

覚書

眠れない日々が続いている。

 

 

 

ここに書くことは、誰かに伝えることを主としたものではない。それらは副次発生的目的であって、私の本来の意図ではない。つまり、ここに書き連ねた数々は私が読みやすいように配列したものではなく、私の思考の動きに近似した配列と言える。

読者の方から見れば、なんだこれという配列、羅列かもしれない。しかし私にとってはつながりが持てているので、そこを検討していけば伝わるのかもしれない。

 

 

現在読んでいる本は更新された

暗黙知の次元

悪人正機

術語集

論理哲学論考」を読む

ナボコフの文学講義

イスラーム文化

意識と本質

文章読本(谷崎)

陰翳礼賛

意識の形而上学

素数の音楽

モオツァルト

 

相変わらずの数であるが、ぼちぼち消化していかねば。あと読書ではないが、数学ガールや世界史研究や世界国勢図会、ギリシア語も読み進めていかないと。特にギリシア語はさっさと辞書が引け読めるレベルになっておかないと今後の外国語学習に支障をきたす。

 

 

 

半年ほど前からPCの調子がすこぶる悪い、機械音痴なのでドライバのどれが悪い…などは判らない、しかしスタートアップできず、その修復も終わらないのでそのあたりのドライバが壊れてしまったのだろう。買い換える必要があるな。

なんにせよ、現在の生活ではPCとスマホから離れてしまうと作業が行いにくくなる。こうして更新するのもPCだし、書評を書いたり、国立デジコレを見て文献参照をしているのもPCやスマホだ。

 

 

最初に書いたが、眠れない状態がしばらく続いていて頭がぼーっとし続けている。なのに私の頭は働き者のようで、つねになにかを考えているらしい。困ったものだ。

精神的東洋を索めて

やっと、身を落ち着けられそうである。まだこれからの錯誤はあるにしても、今までほど絶望的な立場ではなくなったことにひとまず安堵している。先日も少しここに書いたこと、それは東洋というものだ。私がひとりでに考え付いたわけではない、こういった心が動かされるほどの動機はつねに外部からやってくるものである。

 

書いたかどうか忘れてしまったので、一応書いてみることにしよう。

 

去年のある日、確か英語の参考書を読んでいたときだった。「英語達人列伝」という中公新書からの引用で、達人たちが紹介されていた。みな、努力家で、英語を学ぶにはこのようだ態度が必要だ、とも言わんとする内容であった。そこの最後、語学の秀才ではなく、天才としての紹介で井筒俊彦という人物が挙げられていた。引用されていたものは司馬遼太郎との対談である、簡単に言うと井筒にとって近代ヨーロッパ語はあまりに簡単すぎること、彼は30ヶ国語にも及ぶ言語に熟達したということである。(歴史歓談)

 

目を丸くした、英語だけでヒィヒィ言っている私には到底知らない世界だと。いや、しかし彼のような天才は学問問わず見ていて痛快な思いをする。そのとき私は哲学にのめりこんでいなかったし、彼のことは数ヶ月先まで再び見ないこととなった。

 

数ヵ月後、先日書いた「哲学の教科書」を購入し、哲学への世界へと足を踏み入れた。文庫で気になる分野の本をいくつか買うこととなったのだが、そのひとつに井筒の「意識と本質」があった。買ったあと、私はなんという本を買ってしまったのだと思った。しかし今読めば、これこそ私を更なる哲学へと導いてくれるものでもあるように思えてくる。

 

ちなみに副題は「精神的東洋を索めて」である、タイトルには「索めて」と書いたが、今の私にとっては「徼めて」のほうが正しいか。

 

これから行うべきことを、現時点で、実力はまったく加味せずに書き並べてみる。

東洋言語の習得。これがもっとも大きな作業になることが予想される。何故言語か、それはまず私が言語というものに興味、不信感を持っているのが第一。次に、言語というものを歴史学民俗学という枠から外して眺めてみることが重要だと考えた。なぜなら、言語というのは歴史そのものを反映しているといえる。私たち日本人の思考はすでに西洋化してしまっているが、言語はどうか?輸入語や造語も増えてきて見づらくなって来たが、開国前、さらには蘭学以前の言語を見ることができればそれは東洋のコトバではないだろうか。そのコトバの多くは、おそらく、現代にも残っている。なら私たちの精神はまだ東洋に残っているのだ、これは残された手がかりでもある。

 

仏教へのアプローチ。東洋といってまず考えられるのは仏教である。宗教であって、哲学ではないという考えの方々もいらっしゃることだろう。私もそうだった。しかし当時の私や、それらの方々が言う哲学とは果たして東洋まで含めていただろうか。否、西洋のみであろう。西洋における哲学は宗教と混合されうるものではない気がするが(「神」の存在は別とし)東洋においては思想、哲学、宗教のこれらは密接に関係しうるものだ。その中でもっとも大きな存在が、仏教である。これを追わなければならない。井筒は幼いころから禅に親しんできたが、私はまったくの無知だ。体験することが必要になるかもしれない。

 

今や、西洋哲学だけで展開していてはならないのではないか。新たな「知」は東洋哲学にあることだろう。そしてその哲学の叡智を集めたのちには、西洋東洋の統一、というよりかは東西文節を取っ払ってしまいたい。いつまでも西と東に拘っている時代は終わっている、その足がけになりたいというのが今の気持ちである。

 

 

 

今までなりたいこと、やりたいこととは漠然としていて、曖昧で、暗闇のなかを手探りで居るような感覚だった。嘘偽りで自分を騙し、心の動かされないものを目標とし、人間的に堕落していた。私は妥協し続けたのだ。

 

今はどうだ?やりたいことを見つけた、確かに困難ではあるが私は今心が躍っている。周囲の人間に言っても何も伝わらないだろう、ほとんど孤独な作業になる、それでもやりたいと思えることが今までにあっただろうか。はじめて私のやりたいこと、為すべきことを見つけた気分だ。何度も挫折を味わう事になるだろう、しかしやり遂げてみようではないか。

 

 

 

 

 

 

哲学が私に与えたもの

やっと肌寒くなってきた。夏は苦手だ、汗をかくから。だが汗をかくと「私は生きているのかもしれない」と平凡ながら感じることもあり、悪くない。いやしかし、汗なら1年中かけるから夏はやはりいらない。

 

哲学の存在は、高校時代から知った。倫理の授業で少しかじった程度であるが、何故だか社会はそのまま倫理を選ぶこととなった。最終的には日本史を除く、地理・世界史・倫理・政経現代社会をやる羽目になったのだが。

しかし今のように没頭し始めたのは、実はほんの2ヶ月前だ。「哲学の教科書」という本を手に取り読むこととした。おそらく今の私が始まったのはそこだろう。衝撃的だった、著者の感覚がまるまる私の感覚だったのだ。まさか私の感覚を持っている人間がいるとは思わなかった、世界が広がったようだ。

 

私の思考に「哲学的」というコトバが付与されたのはそのときだ、そのときから明確に私は哲学を学び始めた。私の時期を二分するならばそれは間違いなく今年の夏だ、それ以前とそれ以後ではまったく異なると言っても良い。

 

哲学というと、哲学史を学び、思想史を学ぶ先入観が未だにある。それも必要だろうが、私が思うに、必要なのは哲学衝動をぶつけられる対象を見つけ、それを理性で考えられる限り考えつくすことではないか。過去の哲学思想はその中で引用以上に意味を持たない、それらとまったく同じ考えに至ればまだしも、自身にとってそれらは異なってくるはずだからだ。そう考えると、過去の哲学から学ぶべきは、彼らがどのように考えてきたかという点である。

何より重要に思えるのは、それを自分のコトバで書くことだ。人の言葉を借りると、余計に読み手が混乱する。厳密に、ただひとつの解釈にあるべき哲学において、引用を増やし読み手を定めるかのような立場になってはならないと感じている。これは私があまりに哲学史を学んでいないからという理詰めでもあるが…。

 

 

 

良いことばかりではない。原因と結果が哲学を考え進めるにおいてそれなりの地位を占めるようになってしまい、私自身を理性的に分析するようにもなってしまった。それが与えたものは、私の他人に対する不信感、親までも含め理解されないような孤立感。今でさえ、数少ない友人に不信感を与えてしまっていることだろう。この態度を固持していけば、人間らしさから離れ、かなり俯瞰できる立場を得られるのかもしれない。だが今すでに、私は居場所をどんどん遠ざけてしまっている。

 

これからしばらくは、過去の私を省みる必要が出てきた。精神的に、居場所がない。莫迦でかまわないから、ただ居られる場所を得ないといけない。

東洋

哲学と呼ばれるものがある。私の言い方で表すなら、思考の冒険とでも言おうか。決まっているのはぼんやり見えている行先だけである、しかし終着点はない。ただ、冒険を続けている。

哲学、その意味するものはたいてい西洋のものだ。古代ギリシアに生まれた思考、知を愛するという意味から来る愛智。それこそが哲学であるようだ。だが現代においての哲学は、智を愛するものたちばかりではなくなってしまった。しかし彼らは哲学者なのだ、哲学の意味するものが変わってしまったか。

私たちは東洋人だ。地理的な区分からもそう言えるが、思考・発想の面からも東洋人であることを自覚できないだろうか。私たちの思考や発想、それらはほとんど西洋に侵されてしまっている、最早どれが西洋的であるかどうかを自覚できないほどに、いやすべて西洋的だともいえるかもしれない。そんな中に、どうにかして、東洋人としての自覚、そこからの思考を得られないものだろうか。

この西洋に侵された思惟、まずはここから東洋を見るほかない、これは避けられない。違和感があっても、東洋の発想を受け入れなければならない、そうでなければ私たちは東洋人としての生きることは到底できないのだ。

特別

今日もそとに出かけてしまった。なるべく節約せねばならない身でありながら、多動性は未だに治らないようだ。

地元にある本屋に行った。いつも通り、タイトル買いをしてしまった。

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哲おじさんと学くん。こいつを侮っていた、中身を読めばそこらの半端な哲学入門書よりはるかに中身がある。さらに、私の興味とそのまま合致しており、一気に読み進めてしまった。

日本人哲学者の書いた本で、さらに私が手に取る本、今のところ全て私がもう1人いる感覚となる。

この本の冒頭を例にとる。
学「僕は決してみんなの言っていることが分からないわけじゃないんだ。大人の言っていることだってちゃんと理解できる。それなのに、僕の言っていることはみんなに理解してもらえないんだ。…。」

全くその通り。私はいままでこれを言いたくて仕方なかった。言ったことはあるのだ、相手にされなかった。だから、私は昔から社交辞令でしか会話ができなかった。

だれが同じ興味を持っているのか、孤独を肯定しつつも、考える供は欲しい。これはワガママか。

みんな悩みがある、みんな異なる、あなたのことなどだれも見ていない。そんなことはわかっている!但し、あなたがたの悩み、考えを私の悩み、考えと同等にしないで欲しい!

これが私の本心である。私はあなた方が、政治、人間関係、人生について悩むことを知ることができる、その気持ちも私は得たことがある。だがしかし、私の悩みを誰かが同じように納得しながら聞けたか?自殺の否定、愛への虚無感、そもそも自分の生というものへの否定。その話をして、あなたがたはどうしただろう。一蹴しただけではないか、それもありきたりな言葉たちで。

このようなことを、今日考えていた。ひどい嘔吐感に襲われた。だんだん多くなってきたこの嘔吐感、理由はわからない。周囲からの精神的孤立だろうか、それともサルトルのような言語文節から脱却した存在を見てしまったのか。はたまた、これこそが存在への耐えがたい軽さだろうか。

周りの人間たち、私には非常に困難なことを平然と議論する。もっと、話すべきことは目前にあるのに。

そのうち、私は特別だと考えるようになった。優位性を誇示しているわけではない、異質といったほうがみんなにマイナス的に映ってよいだろうか。兎も角、自分が異質なのだと。おそらく存在に対しての嘔吐感、理解されることのない私自身、すべて身の上話だ。これほど苦しいものなのか、みんなみんなが宇宙人だ。