2015-10-01から1ヶ月間の記事一覧

雑考…死・愛・コトバ・神など

死については勿論であるが、愛や神というものを考えるようになった。まず、死は精神を持つ人間に対してどのような意味を持つのか。これを私のこれまでの経験や、推測から考えてみたい。 死とは何であるか、唯物的か、精神的かでさまざまな考察がなされている…

真似

3日前に風邪をひいた。正確にはもうちょっと前から喉が痛かったし、咳が止まらなかったのでそのときからだと思う。9時間勤務の日のバイトだったのだが帰る様命じられたので、うちのバイト先には感謝。飲食店なので風邪持ちの私が厨房に入るわけにもいかない…

空欄

昨日今日の2日程度で思考がさまざまな方向性を持ちたがっているようで、死を考えた時間があれば、無気力を風邪のせいにするという動きもあったりした。そのため、内容は決して統制がとれたものではない コトバ 今、この現在においてもっとも主要な関心は「自…

孤独

私はよく考えている。傲慢なる言い方と思われるかもしれない、それで構わない。考えの延長線に「合理的結論」「論理的補助」「常識」はほとんどないのだろう。私の中でしか起こりえない、事柄の交わり、意識の交錯。 私は思考の中でただ孤独である、孤独を好…

思春期という病

ブログを書こうと思ってはてなブログにアクセスしたら、社畜の方ユーモアあふれる独白を見て「ハハハ」と笑いながらも、心では笑えなかった。まあそれは兎も角。 思春期は少年期の症状と思われがちだけれど、今でも私には続いている。これは私だけの症状では…

リミット

今回、仮に寿命まで生きるとして、残りの人生のどれほどを知的生活に費やせるか 又は、人間至上主義者が目を逸らす共存と死について のどちらを書こうか少し考えていた。後者は、私が何度もそれっぽいことを揶揄しているような気がするし、どこかで書いた覚…

思考限界の規定について

机の上がすぐに散らかる。必要な気がするものを机上においていくとどんどんと積まれていくのだ。2週間に1度くらい、片付けのようなことをしている。 整理整頓というのは、片付ける場所があって成り立つものである。私は、スペースもないのにものを増やすから…

覚書

眠れない日々が続いている。 ここに書くことは、誰かに伝えることを主としたものではない。それらは副次発生的目的であって、私の本来の意図ではない。つまり、ここに書き連ねた数々は私が読みやすいように配列したものではなく、私の思考の動きに近似した配…

精神的東洋を索めて

やっと、身を落ち着けられそうである。まだこれからの錯誤はあるにしても、今までほど絶望的な立場ではなくなったことにひとまず安堵している。先日も少しここに書いたこと、それは東洋というものだ。私がひとりでに考え付いたわけではない、こういった心が…

哲学が私に与えたもの

やっと肌寒くなってきた。夏は苦手だ、汗をかくから。だが汗をかくと「私は生きているのかもしれない」と平凡ながら感じることもあり、悪くない。いやしかし、汗なら1年中かけるから夏はやはりいらない。 哲学の存在は、高校時代から知った。倫理の授業で少…